ビジョンを有言実行する新庄剛志の格言

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』主催の嶋村吉洋氏 新庄剛志氏の格言原理原則

今回は、最近、プロ野球の日本ハムファイターズの監督に就任された新庄剛志氏の格言を紹介します。

『誰かに相談しても、間違いなく「無難な道を選べ」と言われるだろうから、誰にも相談しなかった。親父にも「メジャーで通用するはずがない」と言われたけど、全然気にしなかったし、むしろ闘争心に火がついたね。』

新庄氏はエンタテイメント性やカリスマ性に注目されることが多いですが、実は努力のひとで、さまざまな困難を乗り越えてこられた方です。

監督としてあらためて注目を集めている新庄氏の格言からの学びを、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

幼少期から変わらない負けず嫌いな性格

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』主催の嶋村吉洋氏 新庄剛志氏の格言

新庄氏の経歴を調べてまず驚いたのは、wikipediaの目次の多さです(笑)

注目度の高さや活躍されているフィールドの多さから項目が多くなっており、それぞれの項目について詳細に記載されています。

この目次を見るだけで、新庄氏がファンの方からどれほど愛されているかということが伝わってきました。

話を新庄氏の経歴に戻します。
新庄氏は小学1・2年時にはサッカーチームに所属していました。

しかし、新庄氏の父親には自分が果たせなかったプロ野球選手になるという夢を息子に果たしてほしいという想いがあり、小学2年時からは父親から野球を学ぶようになります。

このころから新庄氏の肩の強さと負けず嫌いさは群を抜いていたそうです。

その負けず嫌いさをあらわすエピソードがあります。
小学6年時の町内対抗のソフトボール大会で、サヨナラ負けが決定するプレーの判定をした審判員に泣きながらひとり食ってかかりました。
その様子を見て、こんなに負けず嫌いな子供は見たことがないと驚いた監督から
「そんなに悔しいのなら自分が監督を引き受けるから少年野球チームをつくってその悔しさを晴らそう」
と持ちかけられると、新庄氏は2日間でメンバーを集め、ユニフォームのデザインやチーム名の命名も担当し、『長丘ファイターズ』というチームをつくったそうです。

このころから多才さを発揮しており、また、『ファイターズ』という名前にも縁があったのかなと感じます。

有言実行の男

高校時代は全国大会出場を果たすことはできませんでしたが、プロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから5位指名を受けました。

当時のスカウトの横溝桂氏の新庄氏に対する能力評価は「打力:B、走力:A、肩力:特選A」であり、横溝氏は、
「高校生の肩に「特選A」を付けたのは新庄のみ」
と語っています。

1990年に阪神タイガースに入団して10年間活躍し、そこからメジャーリーグへ挑戦しています。

先日、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』のコラボレーターのトークセッションの動画で、メジャーリーグで通訳や広報をしていた経歴をもつコウタ氏のインタビュー動画があがっており、そのなかでもメジャーリーガーとの契約の話などをされているので、ぜひご覧になってください。

新庄氏は、メジャーリーグで3年間挑戦した後に日本球界に戻り、北海道日本ハムファイターズで3年間活躍し現役を引退されました。

新庄氏のカリスマ性はファッションやパフォーマンスだけではなく、チャンスでの勝負強さや、目標を宣言し有言実行していく実行力にあります。

特に、日本球界に戻ってからの3年間は『新庄劇場』としてその言動や試合でのパフォーマンスに大きな注目が集まりました。

3年目のシーズンには、開幕直後にそのシーズンでの引退を宣言し、新庄氏への注目度は日に日に増していきました。
そんななか、チームはパ・リーグを制し、日本シリーズへ進み、中日ドラゴンズとの死闘を制し日本一を達成しました。

新庄氏は、北海道日本ハムファイターズへの入団会見で掲げた、「札幌ドームを満員にする」、「チームを日本一にする」という2つの目標をともに達成して現役を引退したのです。

大きな目標を掲げることは、プレッシャーがかかり、ときにはビッグマウスと揶揄されることもあります。
しかし、そのプレッシャーを力に変えて有言実行し、引退するというとてもカッコいい姿を見せてくれました。

常にチームのことを最優先に考える

新庄氏は自由人で、チームのことにはそれほど関心がないように感じている方もいらっしゃると思いますが、実はそうではありませんでした。

メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツに所属しているときには、400打席達成で数十万ドルのインセンティブが約束されていました。

達成まで残り6打席となっていたシーズン最終試合前の打順6番での先発出場決定後に、当時のダスティ・ベイカー監督から
「なぜインセンティブの件を黙っていたのか。申告していれば達成のための配慮をし、今日だって打順1番にいれたのに。」
と問われましたが、これに対し、新庄氏は
「チームがプレーオフ進出を争っていたので、個人的なことで迷惑をかけたくなかった」
と返答しています。

また、日本ハム時代の新庄について当時のヘッドコーチ・白井一幸氏は、
「チームの勝利最優先の精神を徹底して貫き、自分が三振してもチームが勝てば素直に喜べる選手だった。当初は単なる目立ちたがり屋なのではないかと思っていたが実際はまったく違い、常にチームの勝利、ファンに喜んでもらえることを最優先にしていた。」
と語られています。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

新庄氏の格言からは「誰になんと言われても自分の目標を達成する」という強いコミットが感じられます。

目標を掲げたとき、それが大きければ大きな目標であるほど周りからの反対は大きくなります。

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏は、講演会で
「自分の夢や目標を達成する最初のハードルは親しい人からの反対」
だと話されています。

親や親しい人は、過去の自分を見てきていることや、新しいことへのチャレンジを心配する気持ちから反対をしてくれています。

しかし、そこで足を止めていると自分の人生を大きく変えることはできません。

自分の人生を変えるには、新庄氏のように誰から反対されても「それでもチャレンジする」という強い意志が必要だと感じました。

また、ともに頑張る仲間の存在も大きなちからになります。

ワクセルのようにチャレンジしている方が多い場では、チャレンジすることが当たり前で、自分がチャレンジしているぶん、周りの方のチャレンジを前向きに応援してくださる方が多いです。

これから自分を変化させようと考えている方は、まずは同じようにチャレンジしている仲間を見つけてみてはいかがでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました