今回は、ワクセルのコラボレーターである三木拓也氏が、車いすテニスをはじめるきっかけとなった車いすテニス界のレジェンド・国枝慎吾氏の格言を紹介していきます。
『俺は最強だ!』
【出典】国枝慎吾/日刊スポーツ
グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計50回優勝の記録をもつ国枝氏のこれまでの半生と格言からの学びを、『となりの億万長者が17時になったらやっていること』(PHP研究所)の著者であり、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
人生を大きく変える心の持ち方
『車いすになったからと落ち込んだり、自分の将来を悲観することはなかったです。』
国枝氏は9歳のときに、脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となります。
上記のことばのとおり、国枝氏は車いす生活になったからと言って落ち込んだりしたことはなかったようです。
国枝氏は、その要因を「友達に恵まれたおかげ。」と話されており、「毎日が楽しくて仕方がない!という生活を送っていた。」と語られています。
心の持ち方で、人生は大きく変わることをひしひしと感じます。
また、どのような環境に身を置くかもとても重要だということが分かります。
国枝氏は、車いす生活になったときに車いすバスケのチームに入ろうと思っていたそうです。
しかし、チームが見つからず、母親の趣味であるテニスについていったことがテニスを始めるきっかけとなりました。
テニスをはじめた直後から非凡な才能をみせた国枝氏は、高校1年次に参加した海外遠征で、当時車いすテニスで世界トップクラスに君臨していたリッキー・モーリエのプレーに感銘を受け、この競技で頂点を目指したいという想いが明確になりました。
俺は最強だ!
国枝氏はそこから優れた成績を残し、20歳になる2004年にはアテネパラリンピックに出場し、斎田悟司氏と組んだダブルスで見事金メダルを獲得しました。
世界ランキング1位を目指す国枝氏は、2006年にメンタルトレーニングを取り入れます。
当時、「自分には必要ない」と考えていた国枝氏でしたが、ここで人生のターニングポイントといえるような出会いがありました。
それは、オーストラリア人のメンタルトレーナーのアン・クインとの出会いでした。
国枝氏はアン・クインとのやり取りをこのように振り返っています。
「カウンセリングのときに『ナンバーワンになれるでしょうか?』と尋ねたら、彼女から『あなたはどう思っているの?』と。『ナンバーワンになりたい』って言うと『”なりたい”じゃなく”なる”にしましょう』と返されたんです。」
このようなやり取りの中でうまれたことばが冒頭の「俺は最強だ!」です。
国枝氏はアン・クインとのやり取りを通してメンタルトレーニングの重要性に気付いていきました。
ラケットに「俺は最強だ!」という文字を書き、試合中に弱気になりそうな時にその言葉を見つめ、つぶやくことで強い気持ちで相手に挑んでいくことができるようになりました。
2006年にはフェスピックという大会で優勝し、アジア人初の世界ランキング1位に輝きました。
障がい者に対する社会の見方を変える
『私がプロとしてやり遂げられたら、障がい者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられる。障害を持っている子供たちに『車いすテニスプレーヤーになりたい』と夢を持ってもらえる。』
その後、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラムを達成するなど輝かしい成績をのこした国枝氏は、2009年4月に日本の車いす選手としてはじめて、プロ選手に転向します。
プロになった理由をたずねられた国枝氏は、上記のように答えています。
こどもの頃に障がい者である自分への社会の見方、接し方に疑問をもっていた国枝氏は、自分の成果をもって社会を変えていきたいという大きな想いを持ち続けていました。
プロになった2009年4月から引退を表明する2023年1月までの期間で、国枝氏は車いすテニス界のレジェンドとして世界に認められるほどの成績を残しました。
2022年に男子車いすテニス史上初のキャリア・ゴールデンスラム(グランドスラム4大会すべてとオリンピックで優勝)を達成し、2023年に「もう十分やりきった」と引退を表明したときも世界ランキング1位でした。
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏も、メンタルの持ちようをとても大事にされています。
どんな前提で物事に取り組むかで結果が変わってくるため、メンタルの持ちようを変えるために、まずはことばを変えようということを常々語られています。
どの業界でも、一流の方は意識的に感情をコントロールし、仕事面では常に優れた成果をのこされていることが分かります。