「本当の正義」を表現するアンパンマンの作者・やなせたかしの格言

『となりの億万長者が17時になったらやっていること』の著者嶋村吉洋氏のプロジェクト_アンパンマン作者・やなせたかしの格言一流のコンディション

今回は、戦後80年を迎える2025年にNHKの連続テレビ小説で取り上げられることが決まったアンパンマンの作者・やなせたかし氏の名言を紹介していきます。

『正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義はある日突然反転する。逆転しない正義は献身と愛だ。目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。』

【出典】PHPオンライン

戦争の経験から、本当の正義とは「お腹を空かせたひとを救うこと」と語るやなせ氏のこれまでの経験からの学びとともに、4月5日に『となりの億万長者が17時になったらやっていること』(PHP研究所)を出版され、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びを紹介していきます。

アンパンマンの正義

やなせ氏は1919年に東京で生まれ、5歳からは父方の実家がある高知県で育ちました。
1939年に東京田辺製薬宣伝部に就職するも、1941年には徴兵の為大日本帝国陸軍に入営し、24歳で中国に出征します。

終戦間際に上海決戦に備え、1,000キロの行軍を経験したやなせ氏は、「肉体的苦痛はいつか慣れる。でも、ひもじさだけは何よりも情けなく、何よりも耐え難い。」と語っています。
また、終戦後には「正義のため」に戦っていたはずのやなせ氏が所属していた軍隊が、中国から「悪魔の軍隊」と呼ばれる経験をし、「正義というものは立場によって違う非常に頼りないものだ」と考えるようになりました。

これらの経験から冒頭の名言が生まれています。
現在世界中で大人気の漫画『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎氏は、「尾田先生の正義は?」という問いに「アンパンマンの正義」と答えており、やなせ氏の影響を大きく受けていることが分かります。

あきらめず挑戦する

『人生、何があっても、これで終わりなんてことはないのだ。』

終戦後、新聞社、三越のグラフィックデザイナー、サンリオの絵本作家などを経験し、34歳で漫画家デビューを果たしました。
しかし、なかなか代表作には恵まれず、後輩の漫画家が次々と有名になっていきました。

それでも徹夜で漫画を描き続けるなか、ふと懐中電灯を手に当てたとき、驚くほどきれいに透ける赤色に見とれて、「これほど絶望していて心に元気がなくても、血は元気なんだな」と自分自身に励まされたように感じたといいます。
そのときに生まれた名曲が『手のひらを太陽に』でした。

その後、50歳にして『アンパンマン』が誕生しました。
この名言にもあるように、戦争を経験したり、なかなかヒットを生みだせない経験があっても生きてさえいれば可能性があるという想いが伝わってきます。

人生の目的

『なんのために生まれて何をして生きるのか。これはアンパンマンのテーマソングであり、ぼくの人生のテーマソングでもある。』

アンパンマンは当初、「顔を食べさせるなんて残酷」と酷評されていたそうです。
しかし、そこには「傷つくことなしに正義はおこなえない」というやなせ氏の信念がありました。

その後、アンパンマンは大人たちの予想に反し、子どもからの絶大な人気を博し、半世紀以上愛される大ヒット作品となりました。

このアンパンマンのテーマソングである『アンパンマンのマーチ』は、やなせ氏が作詞をしています。
そのなかでも人生の目的やなにをして人生をまっとうするのかを問いかけるこのフレーズにやなせ氏がアンパンマンに込めた信念が伝わってきます。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

4月5日に『となりの億万長者が17時になったらやっていること』(PHP研究所)を出版され、映画プロデューサーとしても活躍される嶋村吉洋氏も、人生の目的を決めることや成果を出すまで諦めずに挑戦することを大事にされています。

自分がなんのために命を使うのかを考え、それを成し遂げるためには何度失敗しても最後に成功すればよいというマインドがものごとに挑戦するうえでは大事なマインドだと感じました。

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