北野武との対談から生まれた『お笑いモンスター』明石家さんまの格言

対談で生まれた明石家さんまの格言 ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』 主催者 嶋村吉洋原理原則

今回は、常に全力でお笑い界の最前線を走り続ける『お笑いモンスター』明石家さんまさんの格言を紹介していきます。

『「努力」は死語にしたほうがいい。努力って普通にするもんやろ、実は。それを努力という言葉を、努力不足のヤツが作りよったから。』

対談で生まれた明石家さんまの格言 ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』 主催者 嶋村吉洋

【出典】日本テレビ/『踊る!さんま御殿!!』

さんまさんは、以前取り上げた北野武さんやタモリさんとともに『お笑いBIG3』と呼ばれ、常にお笑い界のトップに立ち、世の中に笑いを届け続けてきました。

そんなさんまさんの物事の捉え方を学びながら、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

さんまさんの経歴

さんまさんは18歳のときに笑福亭松之助さんに弟子入りし、『笑福亭さんま』として内弟子修行を開始しました。

しかし、弟子入りから半年後に当時交際していた女性とともに上京し、東京で一旗あげようと駆け落ちします。
その試みはうまくいかず、大阪の松之助師匠のもとに帰ってきます。
そのとき、松之助師匠は一切叱ることなく明るい声でさんまさんを激励したそうです。

このようなことがあったため、屋号が笑福亭のままでは反発があるとの松之助師匠の計らいで屋号を明石家に変え、『明石家さんま』と名乗るようになりました。

さんまさんはそこから3年間で、関西でアイドル的な人気を博するようになりました。
1980年には所属する吉本興業が東京に本格的に進出するために東京連絡所を設立しました。

このとき東京での仕事を引っ張っていたのがさんまさんと島田紳助さんでした。
『笑ってる場合ですよ』、『オレたちひょうきん族』など伝説の番組を生み出し、当時は下に見られていた東京での大阪芸人としての地位を築いていきました。

その後は数多くのレギュラー番組を持ち、1988年には北野武さんやタモリさんとともに『お笑いBIG3』と呼ばれるようになり、現在に至るまで最前線を走り続けています。

さんまさんの物事の捉え方

さんまさんはいつも明るく、順風満帆にお笑い界の頂点まで登りつめてきた印象がありますが、実際はそうではありません。

さんまさんは実の母親を3歳のときに亡くしています。
父親の再婚相手とは折り合いが悪く、連れ子(義弟)がいたその女性は自分の子供だけをかわいがり、さんまさんやお兄さんを無視し続けていたそうです。

さんまさんは、そんな再婚相手の女性の注意をひこうと毎日おもしろいことを考え、笑わせようとしていたそうです。
このときの経験がお笑いを志すきっかけになっているのかもしれません。

さんまさんが東京で活躍する機会が増えていた1982年、さんまさんが27歳のときに衝撃的な事件が起きます。
実家が全焼する火事が起き、義弟がその犠牲となってしまい19歳の若さでこの世を去ってしまったのです。

当時、人気絶頂のさんまさんでしたが「ショックで笑いが取れなくなり、芸人を辞めようかと思った」と語るほどショックを受けていました。

しかし、そんなさんまさんを心配した同期のオール巨人さんがある舞台で、
「お前んち、兄弟焼いたらしいな」
と、あえてその辛い事故に触れ、さんまさんも、
「そや、材木切れてたから代わりに焼いたんや」
と笑いに変えて返すことで、その悲しみを乗り越えることができたそうです。

そのときのことをさんまさんは、
「これで芸人やめんで済むわ」
と、オール巨人さんに感謝していたそうです。

笑いの世界に生きるふたりならではのエピソードですね。

さんまさんは下記のような格言も残しています。

『この世に笑えないことはたくさんあるが、それを笑えたら全部勝ちになる。』

『俺は幸せなひとを感動させたいんやなくて、泣いてるひとを笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。』

このようなポジティブな捉え方や、お笑いへのこだわりはこれらの壮絶な経験からきているのではないでしょうか。

ワクセルの価値観にもつながるさんまさんの座右の銘

もうひとつ、さんまさんの価値観に大きな影響を与えた事件があります。

1985年8月12日、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向けて運航されている日本航空123便が墜落し、520名が死亡する悲惨な事故が起こりました。

実は、さんまさんはこの航空機に乗る予定でした。
いつも日本航空123便に乗船していましたが、この日はたまたま『オレたちひょうきん族』の収録が早く終わり、便を変更して1本早い便に乗っていたのです。

さんまさんの座右の銘であった『生きてるだけで丸儲け』は家族を亡くした経験やこの事故がきっかけで生まれたといわれています。

また、最近はこの座右の銘に変化があり、『生きてるだけで丸儲け』から『わくわくして死にたい』に変化しています。

人生の終わりをどう迎えるかを考える機会が増えたことで、いまは怖さを感じる死も、そのときには、死をわくわくしながら受けいれたいという想いから来ているようです。

先日アップした前澤氏の格言にあった「カッコいい生き方」や、さんまさんの「わくわくして死にたい」というのは抽象的ですが、将来に可能性を感じ楽しみにしていることが伝わる重要なキーワードだと感じます。

わたしが学んでいるソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』のビジョンは
「”ワクワク”持続可能な社会をつくろう」
です。

人生を楽しんでいる方々の考えと共通しているものを感じます。

対談から生まれた格言

今回取り上げている格言は、北野武さん、所ジョージさんとの対話のなかから生まれています。

武さんが、
「『努力すれば必ずかなう』っていうひとがいるけど、そんなことは絶対ない」
とおっしゃっており、その発言に所さんとさんまさんが同意されていました。

武さんの発言を受け、出てきた言葉がこの格言であり、さんまさんは努力という言葉は逃げ言葉であり、本当に努力しているひとは努力という言葉をつかわないと話されています。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏はこの格言と共通する価値観を持たれていると感じます。

自分の理想・目標から逆算し、それを達成するために日々の達成を繰り返している姿は「努力している!」というよりは「自分の理想のためなのだからやって当然!」というスタンスで仕事をされているように感じます。

わたしも自分の求めているものを明確にし、そのために行動していきます。

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