障がいを持つ子どもたちに希望を見せ続けるプロ車いすランナー・廣道純の格言

嶋村吉洋氏が主催するソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』のコラボレーター廣道純の格言原理原則

前回書いたパラリンピックを取り上げたブログに関連して、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』のコラボレーターで、トークセッションとオンライン講演会に参加されたプロ車いすランナー廣道純氏の格言を紹介させていただきます。

『「明日でええ」「来年でええ」というのは絶対なしにしよう。そのとき、そのとき、やるべきことに真剣に打ち込み続けていれば、なにが起こっても後悔しなくてすむ。』

嶋村吉洋氏が主催するソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』のコラボレーター廣道純の格言

【出典】廣道純×ワクセル

日本初のプロ車いすランナーである廣道氏のこれまでの経歴や今後のビジョンについて学びながら、ワクセルの主催者であり、映画プロデューサーでもある嶋村吉洋氏からの学びを紹介していきます。

車いすスポーツの世界へ

廣道氏は高校1年生のときにバイクで事故を起こし、脊髄損傷により車いす生活となりました。

このときのことを「事故で死んでしまったはずだった」と振り返っており、以後、「生きててよかった」、「いつ死ぬか分からない」という気持ちで生きているとおっしゃっています。

前回のパラリンピックのブログでも触れましたが、なにかトラブルや想定外のことがおこったときに物事をどうとらえるかがとても重要です。
廣道氏はこの大きなケガも、「100から0になるところが、0ではなく50になった」と前向きにとらえることができたそうです。

また、このときのエピソードをもうひとつお話してくださいました。

当時、朝まで家に帰らないような毎日で、親になにかと反抗していた日々でしたが、事故直後に病院で目が覚めたときに見た、心配そうにのぞき込む父親の顔を見て、

「このまま死んでいたら一生謝ることができなかった」

と感じ、周りへの関りも変わったといいます。

ずっとさまざまなことを自分の周りのせいにして生きていたが、自分が障がい者になってから周りが変わって見えたといいます。
それは自分が変化したことで起きた変化であり、変えるべきはいつも自分だということを実感したそうです。

病院を退院後、すぐに車いすアスリートの世界へ飛び込んだ廣道氏は、1994年に当時の車いすマラソン世界記録保持者のジム・クナープの元へ弟子入りします。

1996年には大分国際マラソンで日本人初の総合2位、2000年シドニーパラリンピック800mで銀メダルを獲得し、2004年には日本初のプロ車いすランナーとして独立されました。
この年にアテネパラリンピック800mで銅メダルを獲得し、2大会連続でのメダル獲得という快挙を成し遂げました。

スポーツ・オブ・ハートをとおして掲げるビジョン

廣道氏は現在、現役で選手を続けながら『スポーツ・オブ・ハート(SPORTS of HEART)』の名誉理事を務められています。

『スポーツ・オブ・ハート』とは障がい者スポーツの体験やさまざまなゲストの講演がおこなわれるイベントで、障がい者も健常者も国籍も人種も性別も関係なく、

「すべてのひとたちが共に分かち合い、心豊かに暮らせるニッポン」

を目指すプロジェクトとして活動されています。

ワクセルのトークセッションでもお話をされていましたが、障がいを持つことで自分の価値を低く見積もってしまうひとが多いという話をされており、

「障がいを持った子どもたちが、自分自身に価値を感じて障がいを持っても工夫しながら明るく楽しく人生を過ごしてほしい」

という想いを持って、運営に携わられています。

また、トークセッションのなかでは「今あるものに感謝して、できることに目を向ける」ということも話されており、パラリンピックの父ルードヴィヒ・グットマンと同じ価値観をもたれていることを感じました。


さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

嶋村吉洋氏は、目の前のことに全力で取り組むことを大切にしているとおっしゃっています。

そして、毎晩自分が明日死ぬかもしれないと考え、今日一日を全力で過ごしたかを振り返るそうです。

多くのタスクがあるなかで多くのことを同時にこなすのではなく、今そのときを大事にされている姿勢や、明日死ぬかもしれないと考え、毎日を全力で生きる姿勢は、廣道氏の格言と通ずるところがあります。

日々を全力で生きるひとだけが大きな成果をつくることができます。
わたしも日々を全力で過ごし、いつ振り返っても後悔のない人生にしていきたいです。

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