今回は、看護師として多くの功績を残し、戦地でも多くの命を救ったフローレンス・ナイチンゲールの格言を紹介していきます。
『天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩するもののために戦うものである』
先日、アール・ナイチンゲールのブログを書いた際に、間違えてフローレンス・ナイチンゲールのことを調べており、フローレンス・ナイチンゲールはわたしが思っていた以上にカッコいい女性なのだということを知り、今回取り上げることにしました。
戦地におもむき『クリミアの天使』、『ランプの貴婦人』と呼ばれ、看護師の地位を大きく引き上げたナイチンゲール。
その生き様や格言からの学びを、映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
看護師のレベルと地位を引き上げたナイチンゲール
ナイチンゲールは裕福な貴族の家庭に生まれ、幼少期は外国語、ギリシア哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、心理学、詩などの教育を受けていました。
慈善訪問の際に貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにし、人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになったそうです。
1851年、31歳のときにイギリスからドイツへ渡り、病院付学園施設に滞在、その後、看護師を志してイギリスの病院に就職しています。
婦人病院長となったナイチンゲールは各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護師の必要性を訴えました。
当時の看護師は病人の世話をする単なる召使としてみられていたのです。
そんななか1854年にクリミア戦争が勃発します。
現地では負傷兵の扱いが悲惨な状況にあり、ナイチンゲールは戦地への従軍を依頼されます。
ナイチンゲールはシスター、職業看護師の女性を率いて後方基地にある病院へ赴任します。
そこで看護師の総責任者として活躍し、その働きぶりから『クリミアの天使』、夜回りを欠かさなかったことから『ランプの貴婦人』と呼ばれました。
当時、兵舎病院内での死因のほとんどは病院内の不衛生による感染症であり、ナイチンゲールにより、病院内を衛生的に保つことが指示され、42%まで跳ね上がっていた兵舎病院での死亡率は5%まで低下しました。
軍や政府関係者は、誰にでも真っ直ぐに意見し、結果を残したナイチンゲールの果敢な姿勢に敬意を示しました。
ナイチンゲールの活躍が、看護師の重要性を見直し、看護師のレベルと地位を引き上げるきっかけとなりました。
その後も、病院の状況を分析し、数々の統計資料を作成して保健制度および陸軍全体の組織改革に貢献しています。
そのため、イギリスではナイチンゲールは統計学の先駆者とも称されています。
大きな原動力となる理想の姿
わたしは天使にはこの格言の前者のようなイメージを持っていました。
そのため『クリミアの天使』とよばれるナイチンゲールも優しい女性をイメージしていましたが、実際はそうではなく、後者のようにとても芯のある強い女性でした。
ナイチンゲールの生涯をみてみると彼女の行動力と強い意志に驚かされます。
このような行動ができたのは、彼女がどのような人生を送りたいかを決めていたからではないでしょうか。
彼女の格言には『目的』や『使命』に関するもの、自分を成長させることに触れているものが多く、とてもストイックな印象を受けます。
自分のなりたい理想の姿があり、そのために日々をどのように生きるかを考え、実践していたことが伝わってきます。
そんなナイチンゲールの格言のなかから、特に印象的なものをいくつか紹介します。
『あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。』
『物事をはじめるチャンスを、わたしは逃さない。たとえマスタードの種のように小さなはじまりでも、芽を出し、根を張ることがいくらでもある』
『人生を生きるには、修練が必要です。「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません。』
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏も、理想の人生を描き、それに向かっていつも努力されていて生き方に一貫性がある方です。
そのため、周囲からはストイックに見られがちですが、その努力をも楽しんでいるように感じます。
理想の人生に向けて新たなことにチャレンジし続ける人生が、素敵だなと感じるため、わたしも目標を達成し、また新たな目標へと向かっていく人生にしていきます。