歴代最長政権を率い、日本を引っ張り続けた安倍晋三の格言

映画プロデューサー嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト 最長政権で日本を引っ張り続けた安倍晋三の格言コミュニティ

今回は、歴代最長政権を率い、先日国葬がとりおこなわれた安倍晋三の格言を紹介します。

『わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引きだすことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。』

映画プロデューサー嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト 最長政権で日本を引っ張り続けた安倍晋三の格言

【出典】J-CASTニュース

さまざまな問題があるなか、日本をよりよくなるようにと引っ張り続けた安倍晋三の格言からの学びを、映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

政治家一族に生まれ、内閣総理大臣となるまで

安倍晋三は1954年に東京都に生まれました(本籍地は山口県大津郡油谷町(現長門市))。
父親は衆議院議員の安倍晋太郎、父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相の岸信介、大叔父は後の首相の佐藤栄作と、これ以上ないほどの大政治家一族で育った安倍晋三は、「幼いころからわたしには身近に政治がありました」と語られていました。

安倍は、成蹊大学で行政学を学んだのち、神戸製鋼所に入社します。
ニューヨーク事務所と加古川製鉄所、東京本社で3年間勤務したのち、1982年からは外務大臣に就任していた父の秘書官を務めるかたちで政界に入りました。

1991年に父晋太郎が急死すると、1993年に39歳で父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選を果たします。

2000年に小泉純一郎氏の推薦を受け、第2次森内閣の内閣官房副長官に就任します。
2003年には第1次小泉内閣の自由民主党幹事長に就任し、その後、2005年に発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任しました。

そして、2006年9月には小泉氏の任期満了に伴う総裁選へ出馬し、麻生太郎氏と谷垣禎一氏を大差で破り自民党総裁に選出され、内閣総理大臣に指名されました。
52歳での内閣総理大臣就任は、戦後最年少であり、戦後生まれとしてははじめての内閣総理大臣でした。

『美しい国』を国家像とした所信表明

冒頭に取り上げた格言は、安倍が内閣総理大臣就任表明で国家像として話をした『美しい国』について、著書『美しい国へ』のなかでまとめたものです。

わたしはこの言葉を聞くと、素敵な国に生まれたことを誇りに感じますし、もっと発展させるために頑張ろうと思えます。

以前このブログで取り上げた池間哲郎氏も講演のなかで「自分の国に誇りを持っていないのは日本人だけ」と話をされておりました。

日本がもつ、謙遜するのが美徳という文化を否定する気はありませんが、卑下してしまうのはもったいないと感じます。

政策については多様な価値観があるのでここではあまり触れませんが、安倍が就任当初に掲げた所信表明や取り組んできたものをみてみると、戦後日本の教育を建て直し、精神的にも占領を終わらせ、日本人に誇りを取り戻させようと奮闘していたことが伝わってきます。

不可能といわれた総理への再登板

安倍晋三内閣は最長政権となりましたが、第1次安倍内閣は1年間と短いものでした。
閣僚の不祥事が相次いだことやさまざまな要因で支持率が低下、最後は、潰瘍性大腸炎を患い辞任するかたちとなりました。

しかし、それから5年後の2012年9月、安倍は再び総裁選への出馬を表明します。
9月26日におこなわれた1回目の投票で2位に食い込むと、決選投票では、1回目の投票で1位となった石破氏を逆転し、総裁に選出されました。

一度就任した総裁が間をはさんで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月の自民党総裁選以来でした。
そこから安倍政権は2020年9月まで続き、連続在職日数は2822日、通算在職日数は3188日といずれも歴代最長を記録しました。

2022年3月近畿大学卒業式でのスピーチ

安倍が再度出馬した理由が近畿大学のスピーチで語られていました。
2011年3月11日の東日本大震災の被災地へ物資を届けに行った際に、被災者のみなさんが懸命に頑張る姿に接し、被災地の復興のためにも強い経済を取り戻すことが使命であると決意したと。

スピーチではこのように語られています。

『なぜ不可能と言われた総理への再登板が可能となったか。
それは決して私が特別優れた人間だったからではありません。
残念ながら特別強かったからでもない。
ただ一点
決して諦めなかったからであります。
そして、諦めない勇気をもらったからなんです。』

また、その続きでは若者に対するエールが送られています。
この言葉を聞くと、安倍が初めて首相に就任したころから一貫して同じ想いを持ち、その上に自分の経験も乗せて伝えていることが伝わってきます。

『皆さんもこれからの長い人生、失敗は付き物です。
人によっては何回も、何回も何回も失敗するかもしれない。
でも大切なことは、そこから立ち上がることです。
そして失敗から学べればもっと素晴らしい。

日本もそういう社会に変えていこうと一生懸命改革を進めてきた。
まだ不十分かもしれない。
でも挑戦する人がいて初めて何回も挑戦できる社会に日本は変わっていきます。
ですから私は皆さんに期待しているんです。

11年前、私と世耕理事長が目にした光景は津波で橋や道路や建物や家や車や人が押し流され穏やかな日常が失われた想像を絶するような世界でした。
でもその中で人々は前を向いて助け合い、そして整然と行動しました。
その姿に世界は驚嘆したのです。
私が行った首脳会談の中で沢山の首脳たちから、この日本人の姿、称賛されました。
どうか皆さんもこのことを誇りに思ってもらいたいし自信を持ってもらいたいと思います。

どうかチャレンジして
そして失敗しても立ち上がってください。
そして皆さんの溢れる若い力でよりよい世界を創ってください。』

【参考】Kindai Picks 【近畿大学卒業式】元内閣総理大臣 安倍晋三氏によるスピーチ全文

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

今回取り上げた格言や近畿大学でのスピーチは強く胸をうつものがあります。
やはり、本気で日本を変えようと取り組まれていた方の言葉は伝わってくるものが大きいと感じました。

映画プロデューサーでありワクセルの主催者でもある嶋村吉洋氏も「若者が夢や目標を持ち、チャレンジできる世の中にしたい」とよく話されています。

多くのことにチャレンジし、多くの失敗をしながらも成果をつくり続ける姿からは、リーダーとはこういうものだということを学ばされます。

わたしも大きく望みチャレンジすることで、次の世代が挑戦しやすいよう道を作っていきたいと思いました。

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