孤独を乗り越えて制作を続ける庵野秀明の格言

ワクセル主催の嶋村吉洋氏のプロジェクト_コミュニティの大切さが伝わる庵野秀明氏の格言原理原則

今回は、『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』などの作品を生みだした庵野秀明氏の格言を紹介します。

『人間は孤独であることからは脱することはできない。孤独を忘れることしかできないわけです。その瞬間が幸せなんですから。』

ワクセル主催の嶋村吉洋氏のプロジェクト_コミュニティの大切さが伝わる庵野秀明氏の格言

【出典】映画ナタリー/庵野秀明

超人気作を多く生み出している庵野氏の考え方や格言からの学びを、映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

庵野秀明の上京前までの経歴

庵野氏は1960年に山口県宇部市で生まれました。
幼いころからアニメや特撮の絵や、生まれ育った宇部市の工場群の建造物の絵を夢中で描いていたそうです。

高校時代には美術部の部長を務め、アマチュア映像グループにも所属し作品をつくっていました。
高校卒業後は、大阪芸術大学に進学します。

この大学の同級生にはその後アニメーションプロデューサーになる方や、広告デザイナーや漫画家として活躍する方が多数在籍していました。
庵野氏は、大学時代は自主制作アニメに熱中します。
大阪で開催されたSF大会では異例となるオープニングアニメや、特撮作品を制作し、プロを驚かせ高評価を受けました。

このときに、『スタジオぬえ』のメンバーに誘われ、アルバイトとして『超時空要塞マクロス』の制作に参加します。
その際に、庵野氏が担当した爆発シーンが各所で評価され次の仕事へと繋がっていきました。

学校生活では、「単位さえとれればそれでいいという周囲の学生に付き合って在籍し続けるよりも、自分の作品をつくり続ける方が意義がある」と考え、出席しなくなっていました。
学費も未納であったため3回生時に除籍処分を受けます。

庵野氏は、このときすでに『風の谷のナウシカ』の作画スタッフとしての採用が決まっており、上京することが決まっていました。

仕事へのこだわり

『風の谷のナウシカ』へ参加したことをきっかけに、庵野氏は原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替えます。
その後いくつかの作品を手がけ、1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』が放送開始され、大ヒットを記録しました。

それから2007年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が上映されると、2009年には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』と新劇場版シリーズが上映されました。
そして、そこから9年後の2021年に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開され、完結しました。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の興行収入は102.2億円を突破し、歴代11位の数字を残しています。

アニメがスタートしてから完結まで、実に26年の月日を擁しているにも関わらず、これだけの数字を残しているのは、この作品が観る人によってさまざまな解釈をすることができる内容となっており、多くの考察が終わることなくなされているからではないでしょうか。

庵野氏は自身がつくるアニメについてこのような言葉をのこしています。

『わかるものは「わかるもの」として見せて、わかんなくてもいいものは「わかんなくてもいいもの」として見せる。
「本来、わかってほしいもの」がわからない作りは駄目だと思うんです。
こちら側が「これはわからない方が、むしろありがたい」というところは、わからないように見せる。
それは「謎」とか言われている部分。
それは、わかりづらいように作っている。』

エヴァンゲリオンの考察が盛んにおこなわれている理由のひとつに庵野氏がこのポリシーでつくられているからだと思われます。

庵野氏の葛藤

これほどの人気作をつくった庵野氏ですが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』エヴァンゲリオン制作後には、鬱状態になっていたそうです。
きっかけはネット上の書き込みを見たことでした。

その内容はひどく、作品の批判だけではなく、庵野氏自身への攻撃的な内容も多く、それを見て「アニメをつくるとか、そういうのはもういいや」と自ら命を落とすことも考えたそうです。

そのときに自分が孤独であることを強く感じていたといいます。
今回取り上げた格言は、その経験があったからこその格言だと考えられます。

庵野氏を鬱から救ったひとつのきっかけは仕事でした。
恩師・宮崎駿氏からの『風立ちぬ』の声優の依頼と『シン・ゴジラ』の製作の依頼を受けたことが大きなきっかけになったそうです。

宮崎氏は庵野氏を起用した理由を「庵野が現代で一番傷つきながら生きてる感じを持っていて、それが声に出ていると思ったから」と発言されています。

庵野氏は鬱から抜け出したときのことをこのようにコメントしています。

「その間、さまざまな方々に迷惑をかけました。
が、妻や友人たちのお陰で、この世に留まることができ、宮崎駿氏に頼まれた声の仕事がアニメ制作へのしがみつき行為として機能したことや、友人らが僕のアニメファンの源になっていた作品の新作をその時期につくってくれたお陰で、アニメーションから心が離れずにすみました。
友人が続けている戦隊シリーズも、特撮ファンとしての心の支えになっていました。」

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

今回取り上げた格言にもあるように、人間は孤独であることからは脱することができません。
だからこそ、コミュニティを持っておくことは大事で、気の置けない仲間がいることが人生を豊かにしていきます。

一般的にコミュニティをつくるのが苦手といわれている男性は定年後に属するコミュニティがなくなり、そのことが社会問題にもなっています。

映画プロデューサーでありワクセルの主催者でもある嶋村吉洋氏は常に仲間づくり、コミュニティづくりの大切さを説かれています。
ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』もコミュニティづくりの最たるものではないかと思います。

多くの方が学び、チャレンジできるコミュニティで、より多くのチャレンジをしていきます。

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