今回は、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者であり、映画プロデューサーとしても活躍されている嶋村吉洋(Yoshihiro Shimamura)氏も好きな映画『海賊とよばれた男』に関する格言を紹介していきます。
『出光は石油業というような些事をやっているのではない、出光の真の目的は人間が真に働く姿を現わして、国家社会に示唆を与えよ。』
【出典】出光興産HP
『海賊とよばれた男』は百田尚樹氏が書いた小説で、出光興産の創業者・出光佐三がモデルとなっています。
小説は420万部を突破、第10回本屋大賞も受賞されているベストセラーで、映画化もされています。
この格言は出光興産の創業者・出光佐三の格言です。
出光の生き方と格言からの学びを映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
人生を大きく変えたふたつの出会い
1885年に福岡県に生まれた出光佐三は、生まれたころから体が弱く、神経症を患っていました。
本も読めないほど目が悪く、読めたとしても読書をする忍耐力もなかったといいます。
しかし、出光はそんなハンデを乗り越え現在の神戸大学である神戸高等高専商業学校に進学しました。
努力して入学した学校で人生を大きく変える出会いがありました。
それが神戸高等高専商業学校の創立者であり初代校長であった水島銕也でした。
当時、拝金主義がもてはやされた時代のなかで、水島校長は「金銭の奴隷になるな」ということを繰り返し伝えてくださったそうです。
水島校長が大切にされていた「国家のためになる事業をするべき」という教えが、『人間尊重主義』や『士魂商才(武士道的経営)』という出光の理念の礎となっています。
卒業後、卒業生の多くが大手企業や銀行などに就職するなか、出光は酒井商店という従業員わずか3名の小さな会社に就職しました。
丁稚奉公を選んだ出光に対し、級友たちは「学校の面汚しだ!」と罵声を浴びせました。
しかし、出光のその選択には明確な理由がありました。
『筑豊炭及び若松港』というテーマで卒業論文を書いた出光は、将来の日本経済にとって、石油は欠かせない重要なエネルギー資源になることを確信していました。
当時、小さいながらも石油を取り扱っていた酒井商店に出光は着目したのでした。
酒井商店で2年間石油販売の知識を学んだ出光は、独立を考えていました。
そのタイミングでまたしても人生を大きく変える出会いがあります。
資産家・日田重太郎との出会いです。
学生時代に彼の子どもの家庭教師をしていた出光ですが、日田はそのときから出光の人間性に惹かれていました。
独立を考えている出光に対し、日田はこう話します。
「京都の家を売却しておよそ6,000円余るから君にあげよう。」
当時の6,000円は、現在の価値では6,000万円に相当します。
驚く出光に、日田は下記の条件を付け加えました。
「1. このお金は返す必要はなく、このお金を日田重太郎が出したとは他言しないこと
2. 働く人を家族と考えて良好な関係を築き上げること
3. 自分の考えを絶対に曲げず貫き通すこと」
出光はこのお金をもとに出光商会を設立。
25歳で独立を果たしました。
海賊とよばれた男
出光が『海賊』とよばれた理由は、画期的なビジネスモデルと行動力にありました。
当時運搬業者や漁民の船では価格が高い灯油を燃料に使用していましたが、安い軽油でもつかえることを証明し、大幅なコストカットを図りました。
また、当時軽油を売る際には、陸上で一斗缶に軽油を移して売っていたため非常に効率が悪いことが課題でした。
そこで出光は伝馬船に軽油とタンクと計量装置を取り付けて、海上で漁船に直接給油できるように工夫しました。
この海上ガソリンスタンドは評判を呼び、運搬船や漁船のほとんどが出光商会の顧客となり、下関や門司一帯を掌握しました。
ライバル企業は「海上は販売区域を超えている」とバッシングし、出光佐三を自分たちの顧客を奪う『海賊』とよびました。
痛烈な批判を受けた出光でしたが、商売は消費者のためになることが重要であるとの考えから、既得権益となっていた販売区域を避け、少しでも安い経由を売るために事業を続ける姿勢はいまの時代でもとても大事な価値観だと感じます。
世界を驚かせた『日章丸事件』
出光の行動力を示すエピソードとしてよく知られているものに『日章丸事件』があります。
第二次世界大戦後、日本はアメリカやイギリスに占領され、独自ルートで石油を自由に輸入することができませんでした。
そして、そのことが経済発展の障害となっていました。
さらに、原油国のイランはイギリスの石油メジャー『アングロ・イラニアン社』により支配されており、イランがこれに対して石油の国有化を宣言していました。
この状況に、イランと日本経済の発展を憂慮した出光は、石油市場を支配していた石油メジャーに反抗するかたちで、自社で保有していた大型タンカー『日章丸』を神戸港から極秘裏に出港させ、撃沈される危険をかえりみず、航路を偽装するなどしてイギリス海軍に見つからないようにして、石油を日本に持ち帰ることに成功しました。
この事件は世界中のメディアに取り上げられ、出光は下記のコメントを残しています。
『出光の利益のために石油を輸入したのではない。そのような小さな目的のために、50人の乗員の命と日章丸を危険にさらしたのではない。横暴な国際石油カルテルの支配に対抗し、消費者に安い石油を提供するために輸入したのだ。』
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏は、この映画をみて、「従業員をひとりも解雇しなかったことに感動した」と話されていました。
出光は日本が敗戦国となり経営が厳しいときにも従業員をひとりも解雇しませんでした。
経営陣から人員整理が必要だと声が上がったときにもこのように話されたそうです。
『安易に仲間をクビにして残ったものだけが生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。みんなで精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか』
従業員を守る難しさが分かっているうえで、出光のような覚悟をもって経営をされているからこそ、この場面が心に残ったんだなと納得できました。
わたしも守られる側から守る側に回り、カッコいい生き方をしていきます。