世界中から愛された女優マリリン・モンローの格言

ワクセル主催の嶋村吉洋氏 映画女優マリリン・モンローの格言原理原則

今回は、世界中から愛され注目された女優マリリン・モンローの格言を紹介していきます。

『私はこれまでの人生でずっと「私は愛されない人間なんだ」と思ってきたの。でも私の人生にはそれよりもっと悪いことがあったと、はじめて気がついたの。私自身、心から人を愛そうとしなかったのよ。』

ワクセル主催の嶋村吉洋氏 映画女優マリリン・モンローの格言

わたしはモンローが活躍していたころはまだ生まれておらず、たまにテレビに出てくる写真やエピソード程度でしか知りませんでした。

今回、この格言からモンローのことを調べてみて意外なことがたくさんありました。

モンローの人生とこの格言からの学びをソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

苦労を乗り越えてトップスターに登り詰めたマリリン・モンロー

マリリン・モンローは1926年、アメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに生まれます。

父親は行方知らず、母親も祖母も精神を患っていたこともあり、9歳のときにロサンゼルスの孤児院へ入り、その後いくつもの養家をたらい回しにされます。

つらい幼少期を乗り越え、第二次世界大戦下、16歳で高校を中退して最初の結婚をします。

19歳のときに航空機部品工場で働いていたモンローの写真が陸軍機関誌に掲載されたことがきっかけとなり、ハリウッドでモデル活動をスタートしました。

1946年、モデルから女優になろうと決意したモンローは、映画会社のスクリーン・テストを受け、見事合格しますが、夫には理解されずに離婚を経験します。

その後、20世紀フォックスと契約しますが、1年で契約は打ち切られ、ハリウッドでヌードモデルやコールガールをしながら生計を立てていたそうです。

モンローの人生でもっとも貧しく困難だった時代にも関わらず、それでも俳優養成所学校に通うお金だけは残し、演技にひたむきな情熱を傾けていました。

また、自らの大きな魅力であるボディをさらに魅力的にみせるために、ウェイトリフティングや毎朝のジョギングを欠かさず、さらに『人体解剖学』という本を読み、骨格、筋肉、ポージングまで研究を重ねていたといいます。

そんな努力が実り、モンローは、1951年から20世紀フォックスと新たに契約を結び、マイナー映画への出演や、ドラマ映画の脇役での出演をとおして注目度をあげていきます。

そして、1953年に『ナイアガラ』、『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』の3つの映画で主役を演じて大成功をおさめ、突如としてハリウッドを代表するスターのひとりとなりました。

この年の後半には自分の映画製作会社を設立し、『マリリン・モンロー・プロダクション』と命名しました。

1955年にはモンロー出演作のなかで最大の興行収入をあげた『七年目の浮気』に出演し、地下鉄の通風口の上で白いスカートがふわりとひるがえるシーンとともに世界的な大女優となっていきました。

孤独から抜け出せずに幕を閉じたマリリン・モンローの人生

世界的な大女優へと登り詰め、きらびやかに見えるマリリン・モンローの人生ですが、実は、この格言にもあらわれているように、孤独との戦いの人生でもあったようです。

幼いころから家族と離れ孤児院へ入り、その後里親のもとを渡り歩きますが、性的虐待やネグレクトなどを受けるなど、モンローにしっかりと愛情を注いでくれる場所はありませんでした。

それは、有名になってからも変わらなかったようです。

マリリンは名をあげたあとも演技を学び続け、一流の俳優である努力は惜しみませんでしたが、華やかな私生活はメディアの格好のターゲットとなっていました。

1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚しますが、翌年から精神的に不安定な状態がつづき、流産も経験し、1961年には離婚しています。

離婚までのあいだには、チャールズ・チャップリンやマーロン・ブロンド、ジョン・F・ケネディ、ロバート・ケネディなど多くの著名人との関係が噂されていました。

マリリンは36歳で人生の幕を閉じますが、晩年は精神不安定で、クスリとアルコールに依存してしまっていたそうです。

こういう話を聞くと、幼いころに無償の愛情を注がれることはそのひとの人格形成にとても大事なんだなと感じますし、自分のことを愛せるかということにも繋がっているなと感じます。

以前、このブログでも取り上げた永松茂久氏が、著書『人は聞き方が9割』のなかで「人は誰もが自分のことが一番大切であり、自分に一番興味がある生き物である」と書かれていますが、ひとから愛されないと感じるのもそうですが、一番大切な自分が一番大切な自分のことを愛せていないというのはとても寂しいことだなと感じます。

幼いころに愛された経験が少ないとひとからの愛を受け取りにくくなります。
モンローのこの格言にもありますが、本当はひとから愛されているけどそれを受け取れないこともあります。
モンローは晩年に、自分自身がひとを愛そうとしていなかったことが原因だと気が付きました。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏は、「すべての事象は自分が源である」ことや「ひとは自分の鏡」ということを常々話されています。

ひとから愛されるには、まず自分がひとを愛する必要があります。

幼いころに愛された経験が少ない場合でも、愛を受け取れるようになるとわたしは信じています。
そのためには、愛を受け取れるだけ自分のことを好きになることが必要なのではないでしょうか。

わたしの周りの友人の話を聞いていても、自分に自信がない方や、自分のことが好きではない方が多くいます。

嶋村氏は「自信をつけるには小さなことでもいいから、自分が決めたことを継続して達成し続けることが大事」だと話されていました。

ひとりではなかなか継続することはむずかしいかもしれませんが、同じ志を持った仲間とチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

わたしが多くを学んでいるソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』には愛情を注いでくださるかたが非常に多いです。

それは同じようにチャレンジし、協力し合いながらお互いに成果をつくりだすことに集中しているからだと感じます。

このような環境でチャレンジすることで、自分のことを必要としてくれるひとがいることや、自分にもできることがこんなにもあるんだということを感じられるはずです。
実際に、もともと自信のないひとが、ここでチャレンジし、自信を身に付けていく姿もたくさん見てきました。

自分のことが好きじゃないという方はこのような環境で自分の可能性をあらためて見つめ直してみてはいかがでしょうか。

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