強い覚悟を持って13歳で海を越えたリオネル・メッシの格言

ソーシャルビジネスコミュニティ ワクセル 嶋村吉洋 講演会 リオネル・メッシ一流のコンディション

今回は、世界中で知らない人はいない世界最高のサッカー選手リオネル・メッシの格言を紹介していきます。

『努力すれば報われる?そうじゃないだろ。報われるまで努力するんだ。』

13歳でスペインのバルセロナ(通称:バルサ)というクラブチームのユースに入団してから、21年間バルサで活躍してきたメッシでしたが、今年フランスのパリ・サンジェルマンというチームに移籍しました。

先日、パリ・サンジェルマン入団後初ゴールを決めてバルサ以外でも変わらずに世界No.1プレーヤーであることを証明しました。

最高のプレイヤーがこだわってきたことをこの格言から学び、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

世界のトッププレイヤーから”宇宙人”と呼ばれるメッシの努力

ソーシャルビジネスコミュニティ ワクセル 嶋村吉洋 講演会 リオネル・メッシ

サッカーには『バロンドール』と呼ばれる賞があります。

1956年にフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』が創立した世界年間最優秀選手に贈られる賞です。

信じがたいことに、2008年から2017年の間、このバロンドールはクリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシのふたりの選手によって独占されてきました。

10年以上に渡り世界のトップであり続けるこのふたりについて、世界のトッププレイヤーたちの多くは、「ロナウドは努力の人、メッシは天才」と評価をしており、「ロナウドは人類最高、メッシは宇宙人」ともいわれています。

このような評価を聞くとメッシは努力をしていないように思われますが、もちろんそうではありません。

メッシの幼少期について調べると、5歳で出場した地元クラブの試合ですでに特別な才能を発揮していたことが分かります。
メッシが在籍した3年間でそのクラブは参加した大会すべてで優勝しています。
8歳のころには名門のニューウェルス・オールドボーイズに入団し、プロサッカー選手への道を着実に進んでいきました。

その後もサッカーの技術はどんどん上達していましたが、体は一向に大きくならず、11歳のときに「成長ホルモンの分泌が正常にコントロールされていない」という事実が発覚します。
サッカー選手にとって体の大きさは大きな要素であり、13歳のときに143cmであったメッシには大きな問題でした。

しかし、そんな病気ですらもメッシは乗り越えていきます。
メッシは親戚を頼ってスペインを訪れ、バルサの下部組織のトライアルを受けます。
そこで才能を見いだされ、ホルモン治療の全額負担という待遇でバルサに迎え入れられました。

入団当初143cmであったメッシは治療のおかげで169cmになり、サッカー選手としては小柄なほうですが世界で戦える体を手に入れました。

アルゼンチンから親元を離れ、スペインの名門クラブに飛び込む決断をしたのが13歳のときです。
当時のメッシがどう考えてこの決断をしたかは分かりませんが、その覚悟の強さは相当なものであっただろうと想像されます。

負けず嫌いから生まれた格言

メッシのこの格言からは、自分が決めた目標を達成するまで必死で追いかけてきたことが伝わってきます。

メッシは小さなころから才能に溢れた選手でしたが、それと同時に大の負けず嫌いだったそうです。
とにかくサッカーが好きだったメッシは毎日遅くまでボールを蹴っており、対戦相手は3つ上と1つ上の兄とその友人たちでした。

体が小さかったメッシはぶつかっては倒されていましたが、それでも絶対にプレーをやめず、年上の対戦相手達に向かっていたそうです。
そのころのメッシがそれ自体を努力と思っていたかどうかは分かりませんが、上手になりたいという一心でボールを蹴り続けていたことが今のメッシの基礎を築いていることは間違いありません。

そこから30年近く経った今でも努力を続け、結果を出し続けていることにメッシの偉大さを感じます。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏は、講演会で「自分がやると決めたことはすぐやる、何度でもやる、できるまでやる」とおっしゃっています。

嶋村氏もさまざまな経験をしながらも自分の夢や理想を諦めず、できるまでチャレンジし続けたからこそいまの成果があるのだと感じます。

この価値観はメッシのこの格言とも通じるところがあり、結果をつくっているひとに共通の価値観だと感じます。

わたし自身このワクセルをとおして、達成が当たり前の基準を学んでいきます。

【参考】ワールドサッカーキング0307号

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