妥協を許さない『笑いの天才』松本人志の格言

嶋村吉洋氏主催のソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』 映画プロジェクト 松本人志原理原則

今回は、日本のお笑い界を引っ張り続け、常に最前線で笑いをとり続けているダウンタウンの松本人志氏の格言を紹介していきます。

『これで完璧だと思ったことは一度もない、「もっとできるんじゃないか」とはいつも思ってるんで、「バッチリ手応えがあった」っていうことはあんまりないですね。』

1982年に浜田雅功氏とコンピを組み、そこから40年近く笑いを取り続け、常に新しいことにチャレンジしている松本氏。

2021年の今年は、『キングオブコント』や『M-1』の審査員長を務め、『ドリーム東西ネタ合戦』、『史上空前!!笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』といった多くのお笑い芸人が集まるお笑いバトルの番組で司会を務めています。
このほかにも、『IPPONグランプリ』や『人志松本のすべらない話』など大きなお笑いコンテンツをいくつももたれており、大型特番への出演数が過去最大級になっています。

デビューから40年近く経ったいまでも最前線をひた走るその原動力に触れながら、この格言からの学びをソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

笑いの天才の経歴

嶋村吉洋氏主催のソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』 映画プロジェクト 松本人志

松本氏は前述のとおり、1982年に浜田氏とダウンタウンを結成し、吉本総合芸能学院(NSC)に1期生として入学します。
同期にはハイヒールやトミーズ、新喜劇元座長の内場氏などがいます。

ダウンタウンは当時主流のハイテンポな漫才とは異なり、ゆっくりなテンポで間をあけた漫才で人気を博していきます。
最初は批判も多く、先輩からよく思われないこともあったようですが、それでも自分たちのスタイルを確立し続けて世間に認められるようになっていきました。

関西で6年ほど活動した後、1988年には東京へ進出し、『夢で逢えたら』という番組をスタートさせています。

松本氏はお笑い界でメキメキと才能を発揮し、お笑い界のトップへと昇りつめます。
その一方で、映画監督にも挑戦していきます。
『大日本人』、『しんぼる』、『さや侍』、『R100』など多くの作品が海外からの高い評価を受けています。

お笑い界で結果をつくり、映画監督にも挑戦するというのは、先日このブログでも取り上げた北野武氏と通じるところがあるように感じます。

笑いに対するこだわり

松本氏は自分が出演する番組のプロデュースの段階から番組に関わられることが多く、細部にいたるまでこだわり抜かれる姿勢が知られています。
今回の格言からも、松本氏のお笑いに対するどん欲さとこだわりの強さが感じられます。

また、下記の言葉も残しており、お笑いをどこまでも追及しているからこそ、これだけの結果をつくっていることが分かります。

「本当にお笑いってなんなんだろうって思いながら日々過ごしているんですよ。僕は一番を取らないと、人って向上しないと思います。」

「子供のころからずっと一番になりたいという気持ちで、クラスの中で一番面白くなりたい、学年のなかで一番、学校で、大阪で、そして日本で一番面白くなりたいって。そんな思いはずっとありますね。」

松本氏がこれほどまでにお笑いに夢中になっている理由として、ヒントになりそうな言葉が2つあります。

「家は貧乏、勉強最悪、スポーツ苦手、そんな俺を助けてくれたのが「笑い」なのである。オレから笑いを取ったらなにも残らない。」

「人間に許された唯一の特権は笑うこと。笑いながら生きるということが人間としての証や。ひとは笑うために生きるんやで。」

これらの言葉から、これといった取り柄のない自分が勝負でき、輝けたのがお笑いの世界であったことと、笑いを生むことの価値の大きさを理解していることが大きな原動力となっていることが分かります。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏は、講演会で「自分が決めたことを達成するために、ほかにできることはないか?やり残したことはないか?今やっていることは効果的か?と自問している」とおっしゃっています。

どの分野であれ、成果をつくりだすまでのこだわりの強さが、結果をつくるひとには共通しているなと感じます。

わたし自身もワクセルで学びながら成果をつくることにこだわってチャレンジしていきます。

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