今回は、2021年10月15日に公開された映画『燃えよ剣』で再度注目を浴びている新選組から、局長・近藤勇の格言を紹介していきます。
『忘れてはならぬものは恩義、捨ててはならぬものは義理、人にあたえるものは人情、繰返してならぬものは過失、通してならぬものは我意、笑ってならぬものは人の失敗、聞いてはならぬものは人の秘密、お金で買えぬものは信用』
小説『燃えよ剣』は、1962年に出版された司馬遼太郎の歴史小説です。
新選組副長・土方歳三の生涯が描かれており、累計発行部数は500万部を超えています。
小説『燃えよ剣』のヒットにより新選組の人気は一気に高まりました。
わたしも『燃えよ剣』の読者ですが、新選組の隊員それぞれのキャラクターが人間的で魅力があり、信念を持って生きている姿に感銘を受けました。
そのなかでも、近藤勇は農民の出自でありながら「武士よりも武士らしい武士になる」と義を通すことにこだわり200人の隊士を束ねるほどになりました。
そんな近藤勇の格言を、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
新選組のはじまり
新選組のはじまりは幕末の動乱を象徴するかのような混沌としたものでした。
幕末の京都には、幕府を倒すことを目的に諸藩から志士が集まっていました。
従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは倒幕を防ぎきれないと判断した幕府は、庄内藩志士・清河八郎の案で『浪士組』の結成を決定しました。
幕府は将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集します。
1863年2月、集まった浪士は234名でした。
ここで清河は予想外の行動に出ます。
1863年2月23日、徳川家茂上洛の際、その前衛として浪士組を率いて京都へ出発した清河は、到着した夜に浪士組を壬生の新徳寺に集め、浪士組の本当の目的は将軍警護ではなく尊王攘夷にあると話をしました。
実は、清河は1860年に起こった桜田門外の変に強い衝撃を受け、倒幕・尊王攘夷の思想を強く持っていました。
実際に『虎尾の会』を結成し、尊王攘夷の活動をおこない、幕府からも目を付けられるほどでした。
しかし、京都に潜伏したり、諸国を回るなどして幕府の目から逃れ、自身が開いていた『清河塾』に参加していた幕臣の山岡鉄太郎(鉄舟)を通し、幕府に浪士組の結成を提案しました。
将軍警護のために集めた浪士組を尊王攘夷の活動に利用するというとんでもない策を練っていたのです。
近藤勇の義理人情
清河は浪士組にすぐに関東に戻るよう号令しますが、これに反発した人々が京都に残ります。
それが近藤勇を中心とするグループと、芹沢鴨を中心とするグループの計17名でした。
近藤らは幕府の京都守護職を務めていた会津藩主・松平容保の承認を得て、会津藩お預かりの部隊となりました。
壬生村に宿舎があったことから『壬生浪士組』と呼ばれ、これが新選組の前身となります。
その後、壬生浪士組は隊士を募集し、36名の集団となります。
『8月18日の政変』とよばれるクーデターでの活動が評価され、壬生浪士組は会津藩より『新選組』の名を与えられます。
『新選組』はもともと会津藩にあった剣客集団の名で、武芸に秀でた藩士で構成されていたといいます。
近藤らはその名誉ある名を受け継ぐにふさわしいと認められたのでした。
当初、新選組の局長は芹沢鴨と近藤勇のふたりでしたが、芹沢が近藤より上席でした。
しかし、芹沢は乱暴な性格で、酒が入ると遊郭で乱暴狼藉を働くなど粗暴な振る舞いが目立ちました。
治安を守るべき新選組の局長を芹沢に任せることは出来ないため、会津藩は近藤に芹沢の処分を命じます。
『8月18日の政変』から1ヶ月後の9月18日夜、近藤らは酒宴の後に泥酔した芹沢らを暗殺し、芹沢グループを一掃しました。
驚くのは、これだけの紆余曲折がありながら『浪士組』が結成されてから『新選組』ができ、近藤が局長になるまでの期間はたったの7ヶ月でした。
幕末は動乱の時代といわれますが、どれだけ混沌とした時代だったかがうかがい知れます。
新選組が結成され、近藤が局長になるまでにはこのような紆余曲折がありました。
近藤の人間性や義理人情の厚さには、この期間の経験も大きく影響しているのではないでしょうか。
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
わたしは自分で事業を立ち上げていきたいという想いから、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』で学ぶことを決意しました。
はじめは、どんなビジネスをやれば成功するのか、世の中の経済はどうなっているのかを学ぶものだと思っていました。
しかし、ここでまず学ぶことは「ひととして大切なこと」ばかりでした。
この格言にもあるように義理人情についても多くのことを学びましたし、自分がどんなひとになりたいのかということを問いかけ続けてきていただきました。
わたしも近藤勇のように自分の意志を強く持ち、理想の姿を生きられるように学び続けていきます。