日本ラグビー界に大きく貢献した山口良治の格言

嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト_スクールウォーズのモデルとなり日本ラグビーを盛り上げた山口良治氏の格言原理原則

ラグビーワールドカップ2023が開幕した今回は、京都市立伏見工業高等学校ラグビー部総監督であり、ラグビー部の学園ドラマ『スクール・ウォーズ』のモデルともなった山口良治氏の格言を紹介します。

『「教える」ということは「ああせい、こうせい」ということではない。「どんな夢を語ってやれるか」「どんな希望に燃えた子供にしてやれるか」が大事なことだ。彼らの夢とともに生きてやりたい』

嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト_スクールウォーズのモデルとなり日本ラグビーを盛り上げた山口良治氏の格言

【出典】TSUNEBO.com

高校生の非行や校内暴力が問題になっていたころ、不良たちばかりで弱小だったラグビー部を常勝軍団へと生まれ変わらせた山口氏の格言からの学びを、『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者であり、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

夢をもつことの偉大さ

山口氏は、1943年に福井県に生まれました。

中学校時代と高校時代のはじめには野球部に所属しましたが、高校が農林高校へ改組するにあたって野球部も廃部となりました。
そのタイミングで先輩に勧められたラグビー部に入り、ラグビーとの出会いを果たします。

大学では強豪である日本大学のラグビー部に入部しますが、ハードな練習に挫折し、上級生の理不尽なしごきに不満を抱いていたこともあり、ラグビー部をやめ、体育教師への道を目指すようになります。
しかし、ラグビーを辞めたことで怠惰な生活に陥ってしまいました。

その後、一念発起し、教員養成で定評のある日本体育大学に転入した山口氏は、日本大学よりもハードな練習を経て4軍から1軍へ昇格、関東選抜に選ばれるまでになりました。

山口氏は教師を目指した理由を「いろいろな先生に大事にしてもらった」と話しています。
最初の格言にもあるように、自分が先生から影響を受け、大きな夢をもった経験からそれを子どもたちにも伝えていきたいという想いが伝わってきます。

負ける経験の価値

『負けを知らない勝利者はいない。失敗をしない名選手はいない。』

大学を卒業し、教師となった山口氏はそこから日本代表へ選ばれ、8年間教師をしながら日本代表として活躍されました。

現役を引退した1975年に京都市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督に就任。
不良たちばかりのラグビー部は京都一を目指す山口氏に反発していましたが、京都府春季総合体育大会で京都の名門である花園高等学校に112対0の大敗を喫したことで、部員たちが奮起することとなります。

そこから1年後、同大会の決勝で花園高等学校を18対12で勝利し初優勝を果たしました。
1年間でこれほどの成長を見せた部員たちの努力量は、はかり知れないものだったと思われます。

その後、伏見工業高等学校ラグビー部は常勝軍団となり、全国でも何度も優勝を重ねる程の強豪校となっていきました。

この格言にもあるように、どれだけ優れたチームや選手でも、負けや失敗を経験しており、それを乗り越えることでより強くなっていけるということが分かります。

真のやさしさ、本当の強さ

『真のやさしさは強さにつながり、本当の強さにはやさしさが必要なのです。』

冒頭にもご紹介した通り、『スクール・ウォーズ』のモデルともなった山口氏は、不良だった部員たちに夢を語り、彼らが本気で力を注げる場所としてラグビーを提案し、一緒に走り続けてきました。
多くの部員たちが山口氏についてきた背景には、山口氏のやさしさや強さがあったのだと思います。

『スクール・ウォーズ』が日本で大ヒットしたことで、日本のラグビー人気に拍車がかかり、ラグビー人口が増えたことは間違いありません。
そういった意味でも、山口氏の日本ラグビー界への貢献度は高く、ラグビー日本代表はいまでは世界でも戦えるチームとなり、今年のワールドカップもとても楽しみです。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

山口氏の格言や半生から、ひとを育てることの奥深さを感じます。

『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者であり、映画プロデューサーでもある嶋村吉洋氏も多くの経営者を育てられていますが、希望や可能性を見せ、ともに走っていくというところは共通していると感じました。

失敗を失敗で終わらせず、成功のための過程として昇華できるよう、日々挑戦していきます。

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