出版を通して日本の文化をつくりあげた小学館と集英社の創業者・相賀武夫の格言

『となりの億万長者が17時になったらやっていること』の著者嶋村吉洋氏のプロジェクト_出版社小学館と集英社の創業者・相賀武夫の格言プロデュース

今回は、4大出版社である集英社、講談社、KADOKAWA、小学館の内、小学館と集英社を創業した相賀武夫氏の格言を紹介します。

『文は人なり。事業も人なり。』

『となりの億万長者が17時になったらやっていること』の著者嶋村吉洋氏のプロジェクト_出版社小学館と集英社の創業者・相賀武夫の格言

【出典】相賀武夫/集英社

創業から100年経ったいまでも、出版業界のトップを走り続ける出版社を生みだした相賀氏の格言からの学びを、『となりの億万長者が17時になったらやっていること』(PHP研究所)の著者であり、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

14歳でスタートした出版の道

相賀氏は1897年に岡山市で生まれました。
家が貧しかった相賀氏は、小学校卒業後、書記見習として農学校で働き始めます。
1911年になると、岡山市の吉田書店に住み込み店員として入社します。
1914年には、17歳の若さで吉田書店が販路拡大のために立ち上げた共同出版社の東京出張所の所長を任されます。

驚異のスピード出世を果たした相賀氏は、編集者のパイオニアとしての才覚を発揮していきます。

小学館創業

相賀氏は、1922年に「面白くてためになる雑誌をつくろう」という想いから、吉田書店店主と共同出版社の社長の助けを受け小学館を創業します。
子どもたちの教育の手助けをすると意気込み、『小学五年生』と『小学六年生』を創刊します。

しかし、事業が波に乗ってきた翌年に関東大震災に被災し、事務所と倉庫が消失するなど大きな打撃をうけます。

そんななか、相賀氏は「こんなときだからこそ頑張るのだ」と休まずに雑誌を刊行し続けました。
まさにジャンプの主人公のような生き方をされている方だと感じます。

集英社創業

相賀氏は、1926年に小学館から娯楽誌出版部門を分離独立させ、集英社を設立します。
冒頭の格言は、集英社の名前をつけるときに、相賀氏が話したとされるものです。

明治時代の文芸評論家である高山樗牛(ちょぎゅう)の「文は人なり」ということばにあやかり、このことばを考えたといわれています。
この考えから、「英才を集める社」という意味を持たせ、集英社と命名したとされています。

しかし相賀氏は、集英社を設立してから3年後、過労により病床生活を余儀なくされると、1938年に41歳の若さでこの世を去りました。

相賀氏が設立した小学館と集英社は、現在ではジャンプ、ヤングジャンプ、サンデー、スピリッツ、コロコロコミックなどの漫画雑誌だけではなく、CanCanやnon-noなどのファッション誌や情報誌なども刊行しています。

相賀氏の功績が、日本が世界に誇るアニメ・漫画文化や、ファッション文化をつくりあげたといっても過言ではありません。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏も、事業はひとだという考えをお持ちです。

「なにをするかより誰とやるか」を大事にされ、まずチームをつくって事業に取り組むことを推奨されています。

相賀氏のように、自分の道を信じて真っ直ぐに進むひとには、いい仲間が集まるのだろうと感じました。

タイトルとURLをコピーしました