今回は、8月22日に閉幕した夏の甲子園で世間の評判を覆し、準優勝を飾った下関国際・坂原秀尚監督の格言を紹介します。
『弱者が強者に勝つ、だから人生は面白い』
【出典】朝日新聞デジタル
春の選抜の優勝校である大阪桐蔭高校と準優勝校である近江高校を倒し、決勝を戦った坂原監督の格言とものごとの考え方からの学びを映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
監督業をスタートするきっかけ
坂原監督が下関国際高校の野球部に来たのは2005年ごろでした。
当時は、野球部内で集団万引きの不祥事が発生し、監督は退任に追い込まれ、部員も激減しているタイミングでした。
下関国際の野球部が廃部の危機に瀕しているという噂を聞きつけ、偶然にも近隣の東亜大学で教員免許取得に励んでいた坂原監督は、下関国際の校長に「お手伝いしましょうか」と手紙を書き、無償でコーチ業務を買って出ました。
就任直後の部員数はわずか11人。
部員が1人になることも経験しながら、2008年秋の時点でも1、2年生合わせて部員5人という状況でした。
練習試合、公式戦含めて1勝するのに3年半かかったと話をされており、監督をやっている18年のなかでその時期が一番しんどかったと話されています。
弱小だった野球部を強豪校へ
坂原監督の熱血指導は有名で、今でも野球部寮で選手たちと寝食をともにされています。
坂原監督が自宅に帰るのは7日~10日に1回のみ。
愛する家族の写真も「戦いの場には不要」として、あえて持参しないようにされているそうです。
すべてを下関国際野球部のために捧げ、なにごとにも本気かつ全力でぶつかる。
そんな坂原監督の人間性に惹かれ、下関国際野球部に入部を希望する将来有望な球児たちも徐々に増えていきます。
坂原監督の指導力は、高校野球関係者や有識者から「名将になる」と太鼓判を押されるほど確かなものでした。
人間性と指導力に加え、そこに集まる選手のレベルアップがなされ、一気に強豪校への階段を駆け上がってきました。
今回取り上げた格言をみると、坂原監督は自分の努力で人生を切り開くことに価値を置かれていることが分かります。
就任直後から「甲子園出場が目標」と言い続け、周囲からは失笑されることが続いたそうです。
それでも自分の信念を曲げず有言実行し、甲子園で準優勝を達成される姿は多くのひとに大きな感動を与えました。
今後どのような結果を作り出されていくのか非常に楽しみです。
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
ワクセルの主催者であり、映画プロデューサーでもある嶋村吉洋氏も自分の力で人生を切り開いてきました。
10代で起業することを決め、高校を中退したときには多くのひとから「起業なんて無理だ」と反対をされ、心無いことばを浴びせられることも多かったそうです。
それでも自分の人生をどうしていきたいのか決め、そのためにチャレンジされてきた姿は坂原監督の生き方と通じるものを感じます。
ふたりの生き方をみて、自分が描いた理想を達成する過程で「自分ならできる」と自分を信じる力が人生を大きく変えると感じました。