56年の人生で世の中を一変させたスティーブ・ジョブズの格言

ワクセル 嶋村吉洋 格言 講演会 スティーブ・ジョブズ原理原則

今回は、世界中に多くのファンを持つアップル製品を世に送り出し、多くの人の常識やライフスタイルまでも変えてしまった偉大な起業家であるスティーブ・ジョブズの格言を紹介します。

『もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?』

この格言はとても有名なので聞いたことがある方も多いかもしれません。
今回は、スティーブ・ジョブズの人生について学びながら、格言からの学びと、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者である嶋村吉洋氏からの学びを紹介していきます。

アップル社の立ち上げと追放

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スティーブ・ジョブズはシリア人政治学者の父と米国人大学院生との間に生まれますが、母方の父親がふたりの結婚を認めず、誕生以前から養子に出すことが決められ、ジョブズ夫妻に引き取られます。

若いころからエレクトロニクスが大好きで、13歳のときに憧れのヒューレット・パッカード(HP)社のビル・ヒューレットの自宅に電話し、部品を譲ってもらえるよう連絡をするほどでした。
その依頼に対し、ビルは部品をくれたばかりか、夏休みのアルバイトにも誘ってくれたという逸話を持っています。

ジョブズが高校生のとき、HP社の夏季インターンシップでスティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会い、意気投合しました。
のちにジョブズはウォズとアップル社を立ち上げることになります。

大学には半年通ったものの、興味のない必修科目を履修することを嫌がり中退します。
のちに、「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育につかうのに罪悪感をいだいた」と語っています。

大学を辞めたジョブズは、1974年にアタリ社を訪問。
「雇ってくれるまで帰らない」と宣言し、その姿勢を創業者に気に入られ、下級エンジニアとして採用されます。

1975年には世界初の個人向けコンピュータ『アルテア8800』がMicro Instrumentation and Telemetry Systems社から発売され、人気を博しました。

ウォズはより安く、簡易な回路のコンピュータを半年で開発します。
その商業的可能性に興味を抱いたジョブズは、HP社とアタリ社に商品化を持ち掛けますが断られます。
それをきっかけにウォズとともに自分たちで売り出すことを決意し、製造したコンピュータをアップルと名付け、1976年にApple Ⅰの開発を開始しました。
ジョブズとウォズにロナルド・ウェインを加えた3人は、共同でApple Computer社(アップル社)を創業します。

その後順調に業績を上げていたジョブズですが1985年に大きな転換期が訪れます。
1984年にMacintoshの発売を開始した際に、ジョブズは需要予測を大幅に誤り、はじめての赤字を計上します。
1983年にCEOに就任していたジョン・スカリーは、経営を混乱させているのはジョブズであると考え、Macintosh部門からジョブズを解任することを取締役会に要求。
1985年の取締役会でジョブズは会長職以外のすべての仕事を剥奪されました。

NeXT社とピクサー・アニメーション・スタジオの設立

ジョブズは所有していたアップル社の株をすべて売却し、アップル社を退職後にはオペレーティングシステム(OS)の開発をおこなうNeXT社やピクサー・アニメーション・スタジオ(ピクサー)の設立などをおこないます。

みなさんはピクサーがジョブズが設立した会社だとご存知でしたか?
ジョージ・ルーカスが設立したルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1,000万ドルで買収し法人化した会社がピクサーです。

1996年に『トイ・ストーリー』が大ヒットを記録し、ピクサーの市場価値はおよそ15億ドルとなり、株式の過半をもつジョブズはビリオネアとなりました。

ジョブズはこのピクサーでの大成功を経て、1996年にアップルへ凱旋復帰しました。
自社内でのOS開発が暗礁に乗り上げていたアップル社がジョブズのNeXT社を買収することで合意し、ジョブズはアップル社に非常勤顧問として復帰しました。
買収代金として150万株の株式を譲渡されたジョブズは筆頭株主として役員たちに辞任を迫り、経営陣のほとんどを辞任させました。

アップル社のCEO就任から辞任まで

2000年にアップル社のCEOに就任したジョブズは、2001年にNeXT社とアップル社の技術を融合させたMac OS Xを発売します。
同年にはiTunesとiPodにより音楽業界に参入し、2007年にはiPhoneを発表します。
2000年以降、アップル社の製品は全世界へと広がり、多くの人のライフスタイルを変化させてきました。

しかし、そんな絶頂期にジョブズはすい臓がんを発症します。
2008年には肝臓へと転移し、容体も深刻となり2011年8月にはCEOを辞任、10月に自宅で56年の生涯を閉じました。

この格言をいつジョブズが残されたかは分かりませんが、56年という短い生涯のなかで多くのことを成し遂げてきた彼の言葉だからこそ非常に重く、多くのことを気付かせてくれます。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

スティーブ・ジョブズの生涯をみて、嶋村吉洋氏のこれまでの経歴と重なる部分があるなと感じました。

美輪明宏氏の格言でも紹介したように嶋村氏は高校を中退しています。
講演会では「体育祭で玉転がしをしているのを見て、これが将来なんの役に立つのだろうと思ってしまって、高校を辞めた」と話されていました。

嶋村氏は、将来的にどうなりたいのか、そのために今なにをするべきなのかという点から自身の進む道を選択されてきました。

また、嶋村氏も毎朝『死』を意識されているそうで、ジョブズの格言のように「今日が人生最後の日だったらなにをするだろうか。」と考えられているそうです。

わたしも一日一日人生最後の日だと思って最大限チャレンジしていきます。

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