乗客が集まる仕組みを整え私鉄経営の成功モデルをつくりあげた小林一三の格言

『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者・嶋村吉洋氏のプロジェクト_小林一三の格言事業・起業

今回は、実業家であり、阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創業者である小林一三氏の格言を紹介します。

『現状に処するということが一番大切だ』

『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者・嶋村吉洋氏のプロジェクト_小林一三の格言

【出典】阪急文化財団

私鉄経営での成功により関西財閥の雄と呼ばれている小林氏の格言からの学びを、『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者であり、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

現状に処する

小林氏は1873年に山梨県に生まれました。
1888年に福沢諭吉氏が塾長の慶応義塾に入り、1992年卒業後に三井銀行に入行しました。
日露戦争終結後、三井銀行を退職し、新たに設立される証券会社の支配人になるため大阪へ赴任しました。
しかし、恐慌に見舞われ証券会社設立の話は立ち消えとなってしまい、職を失ってしまいました。

その頃、鉄道国有法によって予定されていた『箕面有馬電気鉄道』の設立が、恐慌の影響で苦境に追い込まれていました。
小林氏はその話を聞くと、電鉄事業に有望性があるとし、銀行を説得し、株式を引き受けさせることに成功し、『箕面有馬電気軌道』と社名を改め設立しました。

小林氏はもともと鉄道会社の運営を志していたわけではありません。
しかし、格言にあるように現状の仕事にベストを尽くしてきたことで、銀行時代に証券会社の話が舞い込み、恐慌で頓挫することになっても、その時に巡ってきたチャンスを掴むことができました。

乗客は電車が創造する

『乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客をつくりだせばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。』

これまでは、乗客がいるところに鉄道をつくるということが常識でした。
しかし、小林氏の考え方は真逆でした。

開業に先立ち、線路通過予定場所にさまざまな工夫を凝らし、人が集まるように仕掛けをつくっていきます。
線路通過予定地の沿線土地を買収し、郊外に宅地造成開発をおこないました。
1910年には日本で3番目の動物園である箕面動物園を開園。
翌年には宝塚新温泉、さらにその翌年には、同じ地に最新式の屋内プールを中心とした娯楽場『パラダイス』を開設しました。
この屋内プールは失敗に終わりますが、大阪の三越で人気を博していた少年音楽隊にヒントを得て、プールを板張りにしたスペースの活用方法として、1913年に『宝塚歌劇団』を設立しました。

また、郊外から都市部に移動する乗客を降ろした電車は、今度は逆方向に走らなければなりません。
このとき、社内がガラガラの状態で非効率なことに目を付けると、沿線郊外の広大な土地に関西学院や神戸女学院といった大学を誘致しました。
これにより都市部から郊外へ という逆ルートの固定客をつかむことにも成功します。

結果には原因がある

『運命は作るものーいずれの事業においても、会社組織でも、個人の仕事でも、大きくなる人、どこまでも発展する人、行き止まる人、縮こまる人、その運命は断じて偶然ではない』

1918年に、箕面有馬電気軌道は社名を『阪神急行電鉄』と改めます。
1929年には、世界初のターミナルデパート・阪急百貨店をオープンしました。

鉄道会社直営・駅直結の商業施設は今でこそ普通のことですが、当時は日本はおろか、世界にも例がなかったといいます。
こうして小林氏は、私鉄経営の成功モデルをつくりあげ、東京や福岡でも功績を残しました。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

小林氏の格言から学べることは、『うまくいくリーダーだけが知っていること』の著者であり、映画プロデューサーでもある嶋村吉洋氏から学んでいることと共通する部分が多くあります。

嶋村氏は、事業を起こすうえで先に集客できる仕組みをつくり、そのうえで起業することを大切にされています。
この考えは小林氏の格言からも学ぶことができます。

また成功者には共通する部分が多く、なにをなすにしても大切なことは変わらないとも話されています。
結果には原因があり、成功や失敗は偶然ではないということばを聞くと、歴史から学ぶことの重要性を痛感します。

わたし自身、学ぶことをおろそかにせず、自分の人生に活かしていきます。

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