今回は、日本で初めてクラウドファンディングサービスを設立した米良はるか氏の格言を取り上げ、その生き方や考え方を紹介します。
『誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる』

【出典】米良はるか/GLOBAL EDGE
米良氏は、「想いはあるのにお金がないことで挑戦できない人がいる」という社会の現実に向き合い、日本初のクラウドファンディングサービスであるREADYFORを立ち上げました。
資金調達を一部の限られた人のものにせず、誰もが夢を語り、支援を募れる仕組みをつくる。
その挑戦は、日本の寄付・応援文化そのものを広げてきました。
そんな米良氏からの学びとともに、『人生100年時代を生き抜くための億万長者のコミュニティ資本論』(プレジデント社)の著者であり、ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。
どういう未来をつくっていきたいか
米良氏は慶應義塾大学在学中に、人工知能(AI)研究の第一人者である東京大学の松尾豊先生と出会い、夢を描き始めたといいます。
「“自分の仕事内容”ではなく、“どいういう未来をつくっていきたいか”を語る松尾先生に出会って、ものすごくワクワクしたんです。同時に、松尾先生のもとで、アイデアがスピードを持って実現していくインターネットとテクノロジーの面白さも知りました。」と語られています。
その後、海外でクラウドファンディングという仕組みに触れます。
インターネットを通じて、共感した人が少額ずつ資金を出し合い、誰かの挑戦を後押しする仕組み。
その可能性に衝撃を受け、「これを日本に広げたい」と強く思ったそうです。
そして2011年、日本初のクラウドファンディングサービスであるREADYFORを創業。
前例のない分野に飛び込みながらも、医療・福祉・教育・地域活性など多岐にわたる挑戦を支え、「応援が循環する社会」を形にしてきました。
冒頭の言葉の裏には、「本当にそんな社会が実現できるのか」という数多くの疑問や壁があったはずです。
寄付文化が根付いていない日本で、支援を集める仕組みを広げることは簡単ではありません。
それでも米良氏は、できない理由ではなく、できる可能性に目を向け続けました。
一つひとつのプロジェクトが成功するたびに、「応援したい」という人の想いが可視化され、社会に小さな希望が積み重なっていきました。
私自身も事業に携わる中で、「難しい」、「前例がない」と言われることがあります。
しかし、その言葉に止まるのではなく、「どうすればできるか」を問い続ける姿勢こそが、未来を変えるのだと米良氏の歩みから学びました。
選択肢を“つくる”という発想
『道を“選ぶ”のではなく、つくっていく』
米良氏は、前例のない分野にあえて飛び込みました。
当時、日本ではクラウドファンディングということば自体がほとんど知られていない状況でした。
それでも彼女は、「ないならつくる」という姿勢で道を切り拓いていきます。
多くの人は、用意された選択肢の中から無難な道を選ぼうとします。
しかし米良氏は、社会に必要だと思う仕組みを自ら設計しました。
この姿勢に私は強く心を動かされます。
環境のせいにするのではなく、自分が環境をつくる側に回る。
その覚悟があるかどうかで、人生の広がりは大きく変わるのではないでしょうか。
支え合う経営と生き方
『経営も人生も、一人で抱え込まない』
この言葉は、挑戦を続ける経営者だからこそ持つリアルな実感だと感じます。
起業家は孤独だと言われがちですが、米良氏は仲間や支援者とともに組織を育ててきました。
クラウドファンディングという仕組み自体が、「一人の夢をみんなで支える」モデルです。
私はこの考え方に、とても温かい強さを感じます。
強いリーダーとは、すべてを一人で背負う人ではなく、人を信じ、頼り、共に進める人なのだと。
経営も人生もチーム戦であるという視点は、これからの時代にますます重要になるのではないでしょうか。
さいごに:嶋村吉洋氏からの学び
今回紹介した米良氏の生き方は、「ないものを嘆くのではなく、必要な未来をつくる」という姿勢を私たちに教えてくれます。
映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏も、「物事をまずやってみることが重要」と語っています。
行動を通じて気付きを得ること、そしてその気付きを次の挑戦につなげることを大切にされています。
また、「気付きの数が人生を決める」という言葉は、米良氏の挑戦の軌跡とも重なります。
誰もがやりたいことを実現できる社会は、誰か一人の力で完成するものではありません。だからこそ、私たち一人ひとりが「道をつくる側」に回る意識を持つことが大切なのだと思います。
私もまた、抱え込まず、仲間とともに挑戦し続けていきたいと思います。
