逆境でも自分を信じてプロジェクトに魂を注ぎ続けてきた『キング・オブ・ポップ』マイケル・ジャクソンの格言

映画プロデューサー嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト 『キング・オブ・ポップ』マイケル・ジャクソンの格言プロデュース

今回は、『キング・オブ・ポップ』として世界中で愛され、数多くの伝説を残したマイケル・ジャクソンの格言を紹介します。

『絶望に満ちた世界にあっても、あえて夢を追わなければならない。
 不審に満ちた世界にあっても、あえて信じなければならない。』

映画プロデューサー嶋村吉洋氏主催のワクセルのプロジェクト 『キング・オブ・ポップ』マイケル・ジャクソンの格言

【出典】マイケル・ジャクソンBAD25周年/Sony Music

マイケルは、これまでに全世界で3億5,000万枚の売上、13回のグラミー賞を含む750以上の賞を受賞し、史上最も多くの賞を受賞したアーティストとしてギネス記録に刻まれています。

没後13年近く経ったいまでも、さまざまな場面でマイケルの楽曲が利用されるなど、名実ともに世界中で愛されるアーティストであるマイケルの格言からの学びを、映画プロデューサーであり『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏からの学びとともに紹介していきます。

厳しい訓練を乗り越えて掴んだ成功と挫折

マイケル・ジャクソンは、1958年にアメリカで生まれました。
父親は大変厳しく、しばしばこどもに手をあげることもあったそうです。
また、生活も貧しい状態が続きました。

あるとき父親は自分のギターをこどもたちが隠れて演奏していることを知ります。
その演奏のうまさに可能性を感じた父親は、これが貧困から抜け出す手立てになるかもしれないと考え、こどもたちに歌とダンスの訓練を開始します。

父親の厳しい特訓を受け、こどもたちが1962年にボーカルグループを結成すると、翌年、当時5歳のマイケルもグループに参加します。
1966年にマイケルと4人の兄弟のグループ名を『ジャクソン5』とします。

彼らの完成度は極めて高く、1967年にはニューヨークのアポロ・シアターに出演、翌年にはモータウンというレーベルと契約し、デビューシングル『I want you back』で全米チャート1位を獲得します。

その後も『ABC』、『The Love You Save』、『I’ll Be There』とデビューから4作品連続で全米チャート1位を獲得するという前人未到の偉業を成し遂げます。

マイケルは、1971年に『Got To Be There』でソロデビューを果たすと、1972年には『Ben』で全米チャート1位を獲得しました。

しかし、この頃からジャクソン5とモータウンの方向性の違いが露呈してきます。
人気も低迷してきており、彼らはエピック・レコードに移籍します。
このときにグループ名を『ジャクソンズ』に変更しています。

人生を変える出会い

1978年、ミュージカル映画『ウィズ』でダイアナ・ロスと共演したマイケルは、この映画の製作現場で、その後3枚のアルバムをともに製作し、マイケルの音楽人生を変えることになる音楽家、クインシー・ジョーンズと出会います。

1979年、移籍後初のソロ・アルバム『Off The Wall』ではクインシーをプロデューサーとして迎え、全米で800万枚を売り上げる大ヒットを記録しました。

ソロでは初の自作曲となる先行シングル『Don’t Stop ‘Til You Get Enough』、『Rock with You』、『Off The Wall』、『She’s Out Of My Life』の合計4シングルが全米チャートトップ10に入るという史上初の偉業を成し遂げました。

1982年には移籍後2作目のソロ・アルバム『Thriller』を発表します。
再びクインシーがプロデュースを担当した本作は、現在に至るまで少なくとも7,000万枚を売り上げたとされており、ギネス世界記録において『史上最も売れたアルバム』として認定されています。

収録曲9曲のうち、7曲がシングルカットされ、そのすべての曲が全米チャートトップ10入りするという前人未到の快挙を成し遂げました。

その後もマイケルは、画期的なことに挑戦し続けます。
特に革新的なミュージック・ビデオの数々が話題を呼び、それ以降のマイケルの作品には欠かせないものとなりました。

『Billie Jean』のミュージックビデオは、「黒人音楽家の作品は放映しない」という当時の人種差別的な掟を破って放映が解禁されました。

『Beat It』ではロスの本物のマフィアとの共演が実現し、集団でダンスを披露しました。

そしてなにより『Thriller』のミュージック・ビデオは14分にも及ぶ長さのホラー映画風のショート・フィルムとして制作され、その後現在に至るまでミュージック・ビデオの最高傑作として名を残しています。

ワールド・ツアーを経て『キング・オブ・ポップ』へ

1987年8月にクインシーとの最後の作品となる『Bad』を発表します。
同年9月にソロ初のワールド・ツアー『Bad World Tour』を開始し、初演の地に日本が選ばれました。

このツアーは16ヶ月にわたり、15ヶ国で123公演が行われ、440万人が来場、1億2,500万ドルの売り上げを記録し、興行収入や観客動員数などギネスブックに4つの記録が掲載されました。

このツアーの後、1989年にBREアワーズでマイケルはポップ・ロック・ソウルの三部門を制します。
このとき、イギリス出身の女優であるエリザベス・テイラーがマイケルを『ポップ・ロック・ソウルの真の王者』と称したことがきっかけで、マイケルは『キング・オブ・ポップ』と呼ばれるようになりました。

マイケルがこれだけの輝かしい成果をつくれた原因の一端が垣間見える言葉があります。

『仕事のことになると僕は大変な自信家になります。プロジェクトに取り組むときは、それを100%信じています。魂をそこに注ぎ込むのです。そのためになら死んでもかまわない。』

『みんな自分の能力を疑いすぎるのです。自分で自分を疑っていては、最善を尽くすことなどできないのです。自分が信じなかったとしたら、誰が信じてくれるのでしょう。』

自分自身のことを信じ切ることと自分の仕事に自信を持つこと、そしてその仕事に覚悟をもって取り組むことが、これほどの成果をつくることができた原因のひとつであることは間違いなさそうです。

自分を信じること

では、マイケルがはじめから自分のことを信じることができたかというとそうではなかったのではないでしょうか。
はじめからできたわけでも、常に完璧にできているわけでもなかったはずです。

幼少期は父親からの虐待を受け、父親からの愛情を受けたことがないと話しています。
有名になってからはマスコミの批判や偏見にもさらされるようになり、人間不信やスキャンダルに苦しむことになります。
2009年に謎の多い最期を遂げたときも、睡眠薬なしでは眠れない状態だったといいます。

しかし、はじめに取り上げた格言のように、そんななかでも夢を追い、信じ続ける努力をしてきたのだと思います。

前に進むためにその努力を続けてきたマイケルの姿勢が、とてもかっこいいと感じました。

さいごに:嶋村吉洋氏からの学び

映画プロデューサーでありソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』の主催者でもある嶋村吉洋氏も、「自分への確信をもつことが大事」だと話されます。

先日の講演会でも「自信を付けるには、小さくてもいいから目標を達成し続けることが大切」で、「決めたことを達成できるひとになることで自由に生きることができる」とおっしゃっていました。

まずできることからスタートし、継続して自分への確信を積み上げていきましょう。

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